子どものとき、道ばたの神さまはどこの辻にもいらっしゃった。 年を経て探してみたら、ずいぶんお仲間が減っていた。 小さな生きものと同じ‥‥‥そう、でも、負けないよ♪
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カテゴリ:海の外そぞろ歩き( 32 )

旅の困ったコンセント

戸惑うことの多いインドですが、コンセントも期待を裏切らずにまごつかせてくれました。
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海外でのコンセントは、たいていこのアダプターがあれば間に合うのですが、
調べてみるとインドのコンセントには何種類かあるらしい。

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ということで、この「全世界対応変換プラグ」と云うものを用意しました。
キットの組み換えで、どんなコンセントにも対応できるという優れモノ!
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これさえあれば、と云うことで飛びたちました。
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デリーでさっそく現れたのがこの五つ目玉のコンセント!
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取説をにらみながら対応しましたよ。
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ほら、このとおり大成功!
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ところがヴァラナシのホテルでは、この達成感もあえなく失墜いたします。
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自慢のキットを様々に変形させてみたのですが、どうやっても納まらない。
トランスフォーマーできないじゃないかっ!
ちなみにどんなプラグがはいっているのか、ひっこ抜いて調べてみたのがこれです。
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どんな電源とってるんでしょう?
部屋中探しまわって、ようやく対応できるコンセントを見つけましたが、
そもそもひとつの部屋のなかでコンセントの形状が違うなんて‥‥‥
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ちなみに移動中、ドライブインのようなところで見つけたのがこのコンセント‥‥‥
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いったいどんな器具を動かすのでありましょうか???
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by march_usagi | 2013-04-28 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(0)

サルナートと云う聖地

ヴァラナシから北東に車で2~30分いったところにサルナートという町があります。
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釈迦牟尼がはじめて仏の悟りを説いたところと云われています。
その日、彼の言葉を聞いたのは、五人の修行僧と鹿だけだったとか‥‥‥
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紀元前3世紀~紀元2世紀‥‥‥アショカ王、カニシカ王らの統治していた時代に、インドでは仏教の最盛期を迎えますが、
その後ヒンドゥー教に盛りかえされて衰退し、今この地を訪れるのはもっぱら異国の人々だけ。
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静かな敷地は若い男女のデートスポットのようでもありました。
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釈迦牟尼が教えを説いたのは菩提樹の下‥‥‥もちろんこの木はその菩提樹よりはるかに若い世代なのですが、日本の神木の紙四手のように、幹に青とオレンジの小旗が巻きつけられておりました。
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仏教の象徴としてのストゥーパ‥‥‥
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わが国では五重塔のように複雑な形をとるようになりましたが、もともと仏舎利をおさめた原型はこのように単純で堂々としたものだったようです。
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今は鳥たちがその守り手となっておりました。
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by march_usagi | 2013-04-24 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(0)

ガンガーのほとり

たぶん学生のころに読んだこの本が、インドの、それもヴァラナシ(ベナレス)を訪ねたいと云う気にさせたのだと思います。
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        『暁の寺』(『豊饒の海』第三部 三島由紀夫著 1970年 新潮社)

三島由紀夫の『豊饒の海』‥‥‥第三部『暁の寺』には、三島らしい丹念な筆致でこの不思議な町の紹介がつづられていました。
ベナレスは、聖地のなかの聖地であり、ヒンヅー教徒たちのエルサレムである。シヴァ神の御座所(おましどころ)なる雪山(せつざん)ヒマラヤの、雪解け水を享けて流れるガンジスが、絶妙な三日月形をゑがいて彎曲するところ、その西岸に古名(ママ)ヴァラナシ、すなはちベナレスの町がある。それはカリー女神の良人シヴァに奉献された町であり天國への主門と考へられてきた。

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旅に目的があったのではありません。身近で何人ものひとを失いましたが、彼らを捜しに来たのでもない。ただ漠然と、生と死との混在する岸辺に立ってみたい、彼岸のようなものを感じてみたいと、そう思っていました。
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ヴァラナシの川岸には、ガートと呼ばれる水辺がいくつも開かれています。ひとはそこで身を清め、祈り、生命を祝福します。
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しかし水はけっして清らかではない‥‥‥日本の清流を見慣れてきたわたしたちの目には、この河の水が清浄なものにはとても思えない‥‥‥
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再び三島を引用します
すべてが浮遊してゐた。といふのは、多くのもつとも露はな、もつとも醜い、人間の肉の實相が、その排泄物、その悪臭、その病菌、その屍毒も共々に、天日のもとにさらされ、並の現實から蒸發した湯氣のやうに、空中に漂つてゐた。ベナレス。それは華麗なほど醜い一枚の絨毯だつた。

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ここは、ひとが空と水に帰っていくところ‥‥‥
川岸には火葬の薪を積んだガートが点在します。
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荼毘に付された死者たちは、そのまま灰となってガンガーの河の流れにとけてゆく‥‥‥
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生者も死者も、子どもも大人も老いたものも、健康なものも傷ついたものも病んだものも、聖なるものも不浄のものも、ひとも牛も、犬も鳥もさかなも‥‥‥いっさいのものが瘴気のようにまざりあい、混濁してながれつづけるところ‥‥‥
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とはいえ、この国には今も理不尽な身分制度が存在します。
ひとは来世といえどもカーストの枠のなかに閉じこめられなければならない。
いくたび輪廻を経たとしても、
幾千年にわたるそれはなお地層のようにひとを区分けし、
重石のようにとらえて離そうとしません。
不可触とよばれた人々の心の底には、憎しみと諦念とが澱のように澱んでいるに違いないと思うのです。
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にもかかわらずガンガーはそれらの一切をとかし、ながし、清めていくのだという‥‥‥

旅人のわたしには、それは到底理解できない無意味な循環話法のようにも思えるのでした。
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by march_usagi | 2013-04-17 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback(1) | Comments(2)

“the common” どらいぶ

“the common” という概念があります。

commonsenseとかcommonwealthとかの語幹部分、communicationとかcommunism、communityなどこれから派生した言葉がいくつもありますが、基本は「ともに」「一緒に」「協力して」といったことを指すのだと思います。
アントニオ・ネグリさん、マイケル・ハートさんが新しい社会を構成していくキーワードとして採用されていますね。
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たいへんむつかしい概念なのですが、平たく云ってしまえば、人々が、お役人やお金持ち、力をもっているひとの指揮・命令にしたがうのではなく、自主的に、自分たちのネットワークによって、自由に、平等に、対等に、お金と抑圧から解放された社会をつくることをめざす‥‥‥そんな風なものになるかと思います。その土台となる共通認識が “the common” です。

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さて、何のためこんなことをもちだしたかと云いますと、とにかくインドにきて驚いたのが交通のすさまじさでした。
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南方アジアではどこでも「車優先・ヒト冷遇」「早い者勝ち・割込み当然」という点は共通しているのですが、ここインドではレベルがひとけた違っておりました。
大きな都市の道路を往来する構成員はかくのようなものでありまして、
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ひと、自転車、自転車牽引「リクシャー」と云うまったくヒトの足にたよったもの、
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バイクやオートリクシャーのようにバタバタと小さなエンジンで走るもの、
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乗用車やバス、トラックと云った、まぁ普通のスピードで走ってくれるものが、
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それぞれのスピードで、それぞれのルールで、渾然一体と走行します。

特徴的なのがクラクション‥‥‥とにかくめったやたらと鳴らします。その頻度は尋常ではないっ!
日本で先行車にクラクションを鳴らすとしたら、何か異常が発生したか、あるいは喧嘩を売っていると思われることでしょう。
日本の道路は静寂です。
ところがインドの道路の喧騒ときたらっ!
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ふと気がついたのですが、どうやらこのクラクションは道路の流れを互いに調整し合っているらしい。
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喧嘩を売っているのでも何でもなく、「私はあなたより速いスピードで走っています。抜きますから注意してくださいね」というただのメッセージのようなものらしい。

冒頭こむつかしく“the common” がどうのと書きましたが、インドの交通には、この“the common” が存在しているのではないか。
お巡りさんが笛を吹く交通ルールではなく、互いのコミュニケーションのみで往来が対等に維持されている‥‥‥なんとこれは革命的ではないでしょうか!
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しかもこの人間の営みをさらにかき乱すヤツラがおりまして‥‥‥♪
神聖なる牛は、いたるところに屹立して交通を妨害しますし、
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この方たちもいっぱいいて邪魔します。
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そしてまた独立独歩のスピードで荷車をひかれる駱駝さん。

でもね、この方たちまではまだ左側通行と云う英国式ルールをかろうじて遵守しておりましたよ。
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死にそうな思いをしたのはこれ、
どうしてこいつはこの向きで爆走してくるんだっ!
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by march_usagi | 2013-04-13 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(0)

アグラ城の憂鬱

タジ・マハルの川向かいにアグラ城が聳えたっています。
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ここは、アクバル大帝が築いたムガール帝国の心臓部、
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周囲は高い胸壁で囲まれ、ムスリムが勝ち取った帝国の力を誇示しているように思えます。
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一見スポーツコートのように見えますが、ここはバザールの広場‥‥‥帝国は物流を囲いこもうとしたのですね。
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帝王が臣下や使節を謁見したテラス‥‥‥ずらりと居並ぶ陪臣たちの姿も見えるような気がいたします。

さて、愛しきお妃さまのためにタジ・マハルを築いた第五代皇帝シャー・ジャハンさんのことですが‥‥‥ムガール帝国の王さまですから、当然このアグラ城にも起居されておりました。
ところがこのジャハンさん、実の息子のシャー・アウラングゼーブさんに幽閉されてしまうのですね。
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こちらは幽閉前に毎日あかず対岸の霊廟を眺めたというテラス‥‥‥
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代わってこちらは幽閉後の居室。

世の観光案内には、お父さんを幽閉した息子さんに対して親不孝とか、無粋ものとか、権力にかられたとか、あまりよく書いてありません。
でも、このお父さんのシャー・ジャハンさんが即位したのは1628年、‥‥‥オランダやイギリスが東インド会社を設立し、本格的にアジア経営を開始したその頃のことです。
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本来であれば国を富ませ、防備を厚くし、西洋の侵略に毅然と対処しなければならないその時期に、この王さまはひたすら死んだお妃さまを嘆き、巨額の国費で聖廟を築き、あまつさえご自分用に黒い大理石でタジ・マハルの姉妹廟まで用意されようとしていた‥‥‥これは親不孝と云われようと、誰かが止めなければならないのではなかったか?
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そんなことを夜飲みながら現地ガイドのGさんに話したら、
「そうなんだよ。だからイギリス人にみんな取られてしまった!」
わが意を得たりと同意されました。
愛だけがすべてとは云えないようです。

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その後ムガール帝国はもろくも打ち砕かれ、ガンジーの独立闘争で解放されるまで、インド全土はイギリスの支配下に甘んずることになりました。

されどそんな歴史にお構いなく、お妃さまを慕うシャーの夢は、ヤムナ河のほとりに今も優雅な姿を残しつづけております。
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by march_usagi | 2013-04-10 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(0)

タジ・マハル幻想 sanpo

インドへ行ってきました。

やはりタジ・マハルからご紹介することになると思います。
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はじめ、それほど期待していませんでした。
世界遺産には指定されているし、観光案内にはでてくるし、それはもちろん美しいのでしょうが、結局きれいな建物だね、本で見たとおりだね、で終わるような気がしていたのです。
写真もいやというほど見たし、新たに撮るようなものなどあるかしらん‥‥‥
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でも予想は裏切られました!
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たぶんそれは第一に質感の問題‥‥‥半透明な大理石でつくられた巨大なマスの存在感を肌でイメージできていなかった、ということにあると思うのです。
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それと関連してその大きさ!‥‥‥ひとが蟻のように見える‥‥‥
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背後が大河なので、背景となるものがインドの空しかない、ということも間違いなく有効です。
空のグラデーションに勝てるとしたら、ほかには大海原しかあり得ない。
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国の内外から、人々が列をなして訪れるのもうなずける気がいたしました。
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このおふたりは、アフガニスタンから来られたというお爺ちゃんとお孫さん‥‥‥お父さんがぱちぱちとシャッターを切っていらっしゃいました。
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この方たちもそうかなぁ‥‥‥
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建物の全体だけでなく、細部まで綿密に仕上げてあるのも驚きです。
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亡き王妃をしのび、国力を傾けてまで築いたという愛の聖廟‥‥‥確かに一度は訪れる価値のあるところでした。
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by march_usagi | 2013-04-06 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(0)

ヴェトナム、心のふるさと

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ハノイを案内してくれたクンさんには北爆の記憶がありません。35歳くらいにお見受けしましたから、そうであれば77年以降の生まれ、ヴェトナム戦争は終結していました。なくて当然です。わたしに東京大空襲や原爆の記憶がないのと同じことです。

「北爆の傷跡は残っていないのでしょうか」としつこく聞いたのですが、「確かここに爆弾が落ちました」ときれいな庭を案内してくれただけでした。
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考えてみれば戦争から40年近い歳月が過ぎています。ドイ・モイ政策で急速に経済成長を遂げているこの国には、過去の戦禍を今さら強調する意図も必要もないのかもしれません。

街は活気にあふれています。
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車やバイク、自転車が河のように流れてきて、わずか10メートルほどの道路でもよほどの決心がないと渡れません。

嬉しいのは、働かされている子どもをひとりも見ないこと‥‥‥
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クンさんに言わせれば、ヴェトナムは今教育ブーム。日本と同じく学校が終わるとみな塾通いが普通で、クンさんのご家庭でも最後に帰宅するのは塾帰りのご子息とか‥‥‥いやはや大変です。

若いころ、この国のひとびとの闘いに心をよせたことを、わたしはひそかに誇りにしていました。思いいれもありました。
だから現実の旺盛で、むしろしたたかな暮らしぶりをみたときに、少し戸惑ったことは事実です。
でも考えてみれば、あのとき勝利したからこそ現在のヴェトナムはあるのだし、今日の姿は、あの闘争のまごうことなき成果といえるのかもしれない。
だからわたしは、普通の旅行者として普通にこの国とひとびとを眺めていればよいのだと‥‥‥そういうことなのかもしれません。

観光地は盛況です。
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                          〈ハロン湾〉

街もソフィスティケイトされてきました。
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                          〈オペラハウス〉

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この地にはもう戦火の跡は見当たらない。


ところが帰国後、思わぬ記事を見つけました。
わたしたちのとまっていたホテルは、国営だったものをフランス系の資本が買い取り、全面的に改装したもので、施設もサービスもいかにも現代風なしゃれたところでした。
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ところがこのホテルの地下に、北爆時の防空壕跡が発見された。 平和への記念碑として、一般に公開されるというのです。
当時このホテルには多くの国からひとびとが訪れ、会議や交歓が行われました。 防空壕は、客と従業員とを守るために掘られたものでしょう。
ジョーン・バエズもここで、爆弾の投下されているあいだ、ギターをひき、歌をうたい、ひとびとを勇気づけたのだといいます。
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もう少し前にわかっていれば、見ることができたのでしょうが、でもわたしたちが眠っていたその下に、ひとびとの勇気と希望の記念碑が埋まっていたこと‥‥‥それを知っただけで、なにか心が熱くなったのも事実でした。

そう、ヴェトナムは、今も心のふるさとなのかもしれません。
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by march_usagi | 2012-09-22 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(0)

戦争の残したもの

内戦が終結してから、ようやく国の復興がはじまりました。
とはいえそのペースは決して順調とはいえません。
隣国タイはもちろん、対外的にははるかに大きな戦禍をこうむったヴェトナムからも大きく水をあけられた感じです。
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疲弊した国土に、アンコールの遺跡群は外貨獲得の確実な収入源となりました。
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近隣アジア諸国から、また遠くは旧宗主国フランスから、多くの観光客が訪れます。
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荒廃そのものすら観光資源となっている感があります。
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                     〈ベン・メリア遺跡〉

かつてポル・ポト派がたて籠ったというクバル・スピアンの山岳地帯。急勾配に巨石の転がる一帯は、確かにゲリラ戦に好適な地形に思えます。
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息を切らして登りきった渓流のなかに、ヒンドゥーの神々が端坐していました。
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                    〈クバル・スピアン遺跡〉

さすがにこの一帯はまだあまり知られておらず、
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レストランもないので、お弁当持参となりました。
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このお弁当をいただいているあいだ、年の頃なら15、6のもの売りの少女に付きまとわれました。
特にほしいものがあるわけでなく、知人にお土産にするような品物でもないので、断りつづけたのですが、
少女は「わたし貧乏、あなた金持ち、買って」とくりかえします。業を煮やして、「わたしも貧乏だ、買えない」と言いかえしました。
とたんに彼女の態度がかわりました。血相を変え、大きな声で「あなたは貧乏ではないっ!」と叫ぶのです。

わたしは定年直前のごく普通のサラリーマンです。今まで自分が金持ちだなどと思ったことはありません。ツァーの資金もあれこれ工夫して捻出したもの。日本でわたしを金持ちだというひとは絶対にいません。
でも‥‥‥ここではそうだったのです。彼女たちにしてみれば、わたしは遠い国から飛行機でやってきて、ガイドを雇い、車をチャーターし、立派なホテルに泊まり、豪華な食事をし、きれいなものだけ観て帰る富裕な外国人なのです。

学生のころは、まだヴェトナム戦争の真っ盛りでした。
わたしは数え切れないほどたくさんのデモに参加しました。ヴェトナムとインドシナ人民に連帯して、反戦平和を闘いとるのだと、わたしは真剣に考えていました。
ヴェトナムが勝利し、プノンペンが解放されたとき、わたしたちは文字通り踊りあがって喜んだものです。
しかしご存じのように、わたしたちの支持したはずのクメール・ルージュは政権をとったのちに未曽有の恐怖政治をおこないました。わずか1500万の人口しかないこの国で200万近くの人々が殺されたといいます。
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カンボジアにくるのにはこだわりがありました。わたしにはやはり見届けたいという気持ちがあったのだと思います。
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今もこの国には、学校にいけない子どもが大勢いる‥‥‥それが厳然とした事実です。
働かなければ食べていけない子どもが無数にいる。
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少女の売る笛は、ぽうぽうと悲しい音で響きます。
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by march_usagi | 2012-09-15 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(4)

忘れられた王国

アンコール王朝がシャム王パラマラージャⅡ世に敗北したのは14世紀末のことといわれています。
日本では室町時代の初期にあたるころでしょうか。
滅亡後、王朝の記憶は急速に失われていきます。
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                        〈タ・ケウ遺跡〉

わずかにアンコール・ワットと少数の寺院が宗教施設としての命脈を保ちますが、それ以外の何十とない遺跡群は密林のなかに沈みました。そこに住むクメールの人々でさえ、強大な王国の記憶を失ったといいます。
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                       〈ベン・メリア遺跡〉

アンドレ・マルローの『王道』には、奥地に辿りついたクロードがアンコール・ワットの参道でペルケンと会話する情景が描写されています。いかにもとりのこされた文明の諦念と荒廃とがにじみでています。
彼はようやく小さな炎を消した。夜がふたたび、厚く壁面を塗りこめ、その闇は二人の頭の上のところでかすかに微光(たぶん仏陀の前にともされた線香だろう)によってかき乱され、空の星は半ば二人の前にある巨大なくずれた石の堆積によって隠されていた。その山は眼には見えなかったが、闇のうちに存在すること自体によって、あたりを威圧していた。
「泥か?きみにも臭うだろ‥‥‥」

          『王道』アンドレ・マルロー著 滝田文彦訳 新潮社


内戦後、日本をふくむ多くの国際機関が遺跡の発掘と修復に取り組みはじめました。
アンコール・ワットの参道修復には、上智大学を中心とした多くの日本人の貢献がありました。
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熱帯の地ではわが国ではおよそ考えられない破壊と荒廃がすすみます。
その大きな要因は旺盛な植物の繁殖と成長によるもの‥‥‥
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                        〈タ・プローム遺跡〉

ガジュマルの大木が、楽々と積み石を覆していきます。

このような環境で、それでも多くの遺跡が生きのびてきたことの方が、むしろ奇跡だったのかもしれません。
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by march_usagi | 2012-09-08 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(2)

アンコールの彫刻家

歴史というものをわたしたちはなにか直線に似たものとして学びました。
原始共同体から部族社会がたちあがり、余剰生産物から階級がうまれ、領主たちの連合としての封建制ができ、やがて商業資本主義、産業資本主義の台頭とともに絶対王権、そして近代民主主義がうまれ、精巧な構造をもった近代市民国家が誕生する‥‥‥と。
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しかしそれは実はとても限られた、例外といってもよいような歴史ではなかったか‥‥‥
西欧の一部や日本などのごく限定されたものでしかなかったのではないか‥‥‥
クメールの地を踏んで以来、ずっとそんなことを考えています。
所詮は根拠のない思いつきだし、史学を専攻されている先生たちなら一蹴してしまう考えかもしれませんが‥‥‥。

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‥‥‥遠い昔、善をつかさどる神たちと、それに逆らう神々との闘争がありました。彼らは不老不死の霊薬アムリタを得るために、巨大な龍蛇の両端をひきあって大海を攪拌します。乳海からはやがて太陽と月があらわれ、ラクシュミーの女神があらわれ、最後に医の神が霊薬アムリタの壺をかかえてあらわれますが‥‥‥

クメールの地にのこる「乳海攪拌」の神話です。
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6世紀にはじまるアンコール王朝は、12世紀、スールヤバルマンⅡ世、ジャヤバルマンⅦ世の時代に最盛期を迎えます。その版図は遠くシャムやヴェトナムにもおよびました。
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その強大な軍事力をささえたのは、巨大な用水池をもちいた稲作の画期的な革新であったといいます。
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信仰深い王たちは、ヒンドゥーや仏教の大伽藍を次々に建設していきました。
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わたしが心をひかれるのは、これらの建造物に彫られた無数の彫刻群‥‥‥
これも定説として、奴隷が、あるいは自由を奪われた民が、鞭と飢えの脅迫のもとに彫らされたものであると‥‥‥言われます。
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でも実際に彫刻を見ていくと、わたしはこの定説に疑問を感じてしまう。
彫り師たちは、あるいは彫刻家といってもよいかと思うのですが、彼らは必ずしも労働を苦としていなかった‥‥‥
むしろ自発的に、嬉々として彫ったような気がする、それは作品を見れば歴然としているように思える‥‥‥と。
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これも根拠のない意見と笑われるかもしれません。たとえばアジア型専制主義の実態を無視した暴論といわれるかもしれない。支配は苛烈だし労働は過酷だった、と‥‥‥しかしそれは現代でも変わらないのではないか?
わたしが言いたいのは、いかなる状況にあろうとも、どんな過酷な環境におかれようとも、ひとは労働に喜びを見いだすだろう‥‥‥ということ。
まして王国の繁栄に鼓舞された彼ら石工たちには、わたしたち以上に創ることへの喜びがあふれていたのではないか‥‥‥ということ。
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そうでなければこんなものを後世に残すなんて、できるわけがありません!
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by march_usagi | 2012-09-01 00:00 | 海の外そぞろ歩き | Trackback | Comments(2)