いまを表現する
半年前にこれが銀座といったら、笑われたにちがいない‥‥‥そう思います。
東京‥‥‥4月24日、
そう、これがいまです。
考えています。
たとえば、
「孤立」‥‥‥ひとから隔てられ、手をふれられないことの いいようのない淋しさ
「鬱屈」‥‥‥ほがらかに歌えない、踊れない、叫べない‥‥‥笑顔が罪悪のように思える日々
「不安」‥‥‥終わらないかもしれない、終わったとしても元どおりにはならないかもしれない
「怒り」‥‥‥形のあるもの、ないもの、対象のあるもの、みつからないもの、ぶつけようのないもの
そんなことを、自分なりに表現しよう、と。
このブログを読まれる方、
SNSでつながっている方、
古くからの友だち、
職場で苦労をともにされた方、
このなかには、技にたくみなひとがいっぱいいます。
描くひと
書くひと
彫るひと
撮るひと
作曲するひと
調理するひと
詠むひと
弾くひと
唄うひと
踊るひと
編むひと
染めるひと
口はばったい言い方かもしれないけれど、技があるなら、いまを表現しなければいけない、
いまだから創れる、
あるいは表現できるものがあると思う。
これまた恥ずかしい言い方だけれど、それが時代への、とりわけ困難に直面した人びとへの共感であり、連帯であり、責任であると、‥‥‥
そう思うのです。