按司たちのみはてぬ夢 城(ぐすく)‥‥‥沖縄③
記録にのこる琉球国の歴史は、12世紀ころにさかのぼるといわれます。
按司(あじ)たちが割拠して覇権を競う時代でした。
北部山原(やんばる)の名城今帰仁城(なきじんぐすく)‥‥‥
北山王国の牙城として難攻不落を誇ったといいます。
統一王権を創始した尚巴志が1416年、3千の兵で落としますが、
地形を使った堅い防御にさぞや悩まされたことでしょう。
琉球を統一した第一尚氏の政権をゆさぶったのが護佐丸・阿麻和利の乱でした。
史書によれば阿麻和利の讒言によって忠臣の護佐丸が討たれ、
ついで反逆の本心をあらわした阿麻和利が尚泰久王に成敗される、
そんな構図になっています。
その「逆臣」阿麻和利のよったのが勝連城(かつれんぐすく)でした。
史書では逆臣ですが、領民には「気高き阿麻和利」と謡われた‥‥‥中央の威勢に媚びない、気概のある領主だったのかもしれません
岩山に築かれた城は堅牢そのもの‥‥‥ふと熊本城を思いおこします。
阿麻和利の勝連城を牽制する位置にあったのが、
中城(なかぐすく)、
按司のなかの按司 護佐丸の城、王城首里と勝連との中間に位置します。
勝連の喉元をおさえるような地勢です。
他の城同様、高台から四方が見渡せ、これまた堅固な城であったことはまちがいない。
沖縄の城をみていて、なにがなし思いだしたのが、
クラウゼヴィッツの『戦争論』‥‥‥
「戦争とは政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」というテーゼで有名ですが、
書中、攻撃か防御かを延々と考察したのち、防御こそ有利であると結論づけます。
異論のある方もいらっしゃるでしょうが、
琉球の城をみていると、そのクラウゼヴィッツの思想が地に刻まれたようにも思えてきました。
参考『おきなわ琉球王国ぶらぶらぁ散歩』おおき・ゆうこう、田名真之 新潮社
『グスク紀行』岡田輝雄 琉球新報社
人間の本能には闘いたいというものがある様です。
風土や民族性にもよるのでしょうが。
周りに余り良いとは思われない国に囲まれているのに戦争にならないのは奇跡かも。
ないものであるかのように語ることはできませんね。
これからも戦争がつづくのかどうかはわかりません。
叡智が機能するか、それとも無力のままなのか、そのことにかかるように思われます。
悲観的になるまいと思っていますが。