読書サーフィン
たとえば発端はこの本でした。
三紙の書評でとりあげられていたので、つい買ってしまいましたが、
正直なところがっかり‥‥‥
レゴ細工みたいなつくりものの世界‥‥‥この作者、頭のなかだけで組み立てたんですね。
そんなときは口直しをしなければなりません。
で、手にとったのが、
吉村昭の「羆嵐」(くまあらし)。
1915年、北海道は天塩で起きたヒグマによる被害と、村落のありさまを描いたドキュメンタリーで、
綿密な取材と、冷静で客観的な筆致とで、大自然の脅威と、翻弄される人間の本質とをえぐりだします。
この事件では、実際に6人の村人がヒグマに殺されました。
読むのは三度目でしょうか‥‥‥正直ほっとしました。
これが小説というものです。
文学はもちろん創作です。でもそれは作者が産みだすものであって、小手先でこねくりあげるものではない。
泉の水が涌きいづるように、作者の筆先から自然に溢れでなければならない。
つづいて同じ作家の「熊撃ち」
熊撃ちの猟師7人を取材し、それぞれを短編にまとめたものです。
この経験が長編「羆嵐」執筆の動機になったという作者のことばは頷けるものがありました。
熊つながりで、今度はいきなりフォークナー。
フォークナーというと、わたしたちの国ではとっつきにくい大作家、といった印象がありますが、
この「熊」なんかは誰にでも楽しめるのではないでしょうか。
吉村さんの小説と違って、こちらの熊は象徴としての大自然‥‥‥
ディープサウスにうごめく、ネイティブインディアン、白人、黒人の濃密な血の絡みあいとその社会が、機関車のように突進する大熊の前に昇華される‥‥‥のこるのはただ大地の力。
いいですねぇ、フォークナー‥‥‥
でまた唐突に思われるでしょうが、読みたくなったのが「ソフィーの選択」。
なんでと云われれば、登場人物のせりふにフォークナーがでてくるというそれだけの理由でして、
ご存じの方多いと思いますが、この小説の舞台は大戦直後のブルックリン、ここで小説家を志望する青年が、あるカップルと付きあうことになります。
男性は知性と教養が輝く魅力的な科学者、女性は美しく可憐なポーランド亡命者‥‥‥なにひとつ欠けていないようでありながら、どこか危険な暗闇が潜んでいそうでもあるふたり。
青年は磁石にひきつけられるように二人の生活にまきこまれます。
その青年が執筆中の小説を男性に見せたとき、男は
「きみはフォークナーを読んでいるね」
と見抜くのです。
メリル・ストリープ、ケヴィン・クライン主演で映画にもなりましたね。
本を読む、って不思議です。
読んでいるうちに過去の読書体験が呼びさまされる。するとその書にまた触れてみたくなる。
まるでネット・サーフィンのよう。
かくして、再読のリストはつづくのであります。
自然と人間の関わりが題材になる小説は幾つか読んだ事がありますが、題名が思い出せません。
読書は好きなんですがここ二三年、読む時間は家内の買物を待つ時だけ。
休みの日も時間があると殆ど図案に追われています。
家内の買った文庫本が私の部屋に山積みです。
重い内容だと眠る前には負担という事も。
買い物を待つあいだ、読書されるお姿が目にうかびます。
奥さまはゆっくりと買い物ができますね。
本はわたしにとって身体の一部みたいなもの‥‥‥「好き」とかいうレベルでなく、ほとんど「虫」ですね♪