記憶の風景
わたしの育った横浜の町は、学校と病院、商店街の一帯をはずれると一面の田んぼでした。
田のあいだを境川と支流の宇田川が流れ、
春の土手は冬眠から覚めたヘビたちでにぎわっていました。
いま、その面影はありません。
それはこの土地が、かつての生業を断ち、郊外の住宅地に変貌したからにほかなりません。
風景が変わったのは、土地そのものが変わったからでした。
一方で、心の風景が変わる場合もあります。
父に負われて移り住んだ大田区の神社を訪ねたのは3つかそこらのこと‥‥‥
階段は険しく、獅子狛犬は恐ろしく、境内は無限の闇に消えていくように思えました。
半世紀も経てたずねてみると、なんともこじんまりとしたひなびた社‥‥‥境内は猫の額ほどもありません。
意外に感じたのはたぶん、風景を見る自分の心の変化に気づかなかったからだと思います。
では慣れ親しんだ場所はどうなのか?
たとえば銀座‥‥‥
学校をでてはじめて勤めたのは銀座6丁目、
新橋、築地と勤め先は変わりましたが、いずれも銀座を庭にしたような一帯‥‥‥ショッピングも夜の徘徊も、現役のあいだほとんどここでした。
銀座は変わったように思えるし、
そうでないようにも見える‥‥‥ただそれは外見からのお話です。
心のなかの銀座はどうだろうか?
変わったのかなぁ、やっぱり。
思えばいまわたしは銀座のなかにいない気がする‥‥‥銀座をそとから眺めています、
だからなじまないなにかを感じる。
風景は、内と外とで変わる、
それが齢を重ねるということなのかもしれません。
古いまま綺麗になったところもあれば、荒れ地が結構あったのに全て消失。
高さ制限と派手な看板除去で京都の雰囲気も元に戻っています。
生まれた町内の風景はあまり変わっていません。
良い事なんでしょうね。
高さ制限と派手な看板除去というのは東京に住む者にとってはとてもうらやましい措置です。
景観を大切にしない行政は、歴史を将来に伝える義務の放棄だと思います。
また京都に行きたくなりました♪