やはり忘れている
うす寒く晴れた金曜日の午後の記憶‥‥‥
つぎからつぎへと考えもしなかったことが起き、わたしたちの暮らしが根底からゆさぶられた日々のこと‥‥‥
あれから4年、
都心ではもう地震の痕跡などどこにも残っていません。
電車は時刻どおりに運行し、
夜は昼のように照らされ、
コンビニやスーパーの棚は商品であふれている。
これでいいのかな、‥‥‥たまに考えるけれど、考えるだけ。
ときが移り、この国の「成長」には、原発のエネルギーが欠かせない、
国際競争に打ち勝つには、再稼動しかないという人々が政権につきました。
4割そこそこの得票で、8割もの議席をとって‥‥‥
12月号の『世界』には、北大 島村英紀教授の「火山と日本人」という記事が載っています。
この国の島々は、4つのプレートがせめぎあいながら沈みこむ地球上最も特異な地点に位置している。
これに匹敵するのは、地球の反対側でふたつのプレートが生まれているアイスランドくらい。
世界の面積のわずか0.25%を占めているに過ぎないこの国で、地球上で起こるマグニチュード6以上の大地震の22%が起きている。
しかも火山列島のこの国にはいたるところに火山がある。
このようなところで原発を持つこと、
さらに数万年の単位で廃棄物を管理するなどなんとも無謀だと‥‥‥
原発の、そしてその事故の責任は無論一義的には電力会社と、それを推進した政府に帰します。それは間違いない。
でもそうさせた責任の一端は、わたしたちにもなかったか。
電力を湯水のように消費するわたしたちの生産の仕方、暮らしのあり様になかったか‥‥‥
いかな企業でも、需要のないものに設備投資はしないのです。
思いだすのは地震のあと、電力の需給が「逼迫」し、計画停電が実施されたときのことです。
電気の消えた街を帰宅すると、蠟燭の火明かりに、つくりおいたにぎりめしが待っていました。
食べたら寝るしかありません。
春とはいえ底冷えのきつかった年です。
少しでも消費電力を減らすため、
エアコンを弱くしてかわりにうんと厚着をする。
事務所の蛍光灯を減らせるかぎり間引きする、そんな工夫をみんなでいっぱい考えました。
銀座はふたたび光の宮殿になりました。
コンビニの灯りは星の光を奪う。
不夜城のように、夜のオフィスは働きつづける。
やはり忘れているのです。
痛みを忘れたのではない。
わたしたちは責任を忘れたのです。
思えば昔の夜は暗かった。特に深夜は真っ暗だった。街灯すら安っぽちい60ワットで、5メートルも離れると闇だった。深夜2時は交番でさえ眠っていた。
考えるんだけれど、どうしてそれでいけなかったのだろ?
ほんとはできるとわかっているのにやらない‥‥‥だから僕らの罪だね。あのひとたちを「選んだ」のも僕らだからね。
これを見れば子供でも日本に原発を造ってはいけない事が分かります。
放射能を除去出来ない未開発の技術を将来解決するであろう事を期待した、やってはいけない事でした。
大間のマグロ漁師はどう思っているのでしょうか?
少なくとも新設は気が狂っている。
どこの国でも原発は危険ですが、この国の危険度は群を抜いています。
すでに電気は足りているのに、それでもなお原発に固執する‥‥‥その本当の理由を聞きたいと思います。インフラや事故補償、廃棄物を10万年以上保管する費用などを足しあげれば、原発が最も不経済はエネルギーであることは明白です。