出雲大社と出雲そば
島根県出雲市の稲佐の浜‥‥‥
オオナムチは、この海岸で国譲りをしました。
天孫側の総代理人タケミカヅチは、この浜に剣を逆さに立て、その上に胡坐をかいて威嚇したとか‥‥‥
国を譲る条件としてオオナムチは
此の葦原の中つ國は、命の隋(まま)に既に獻らむ。唯僕(あ)が住所(すみか)をば、天つ神の御子の天津日繼(あまつひつぎ)知らしめす登陀流(とだる)天(あめ)の御巢如(みすか)して、底津石根(そこついはね)に宮柱布斗斯理(ふとしり)、高天の原に氷木多迦斯理(ひぎたかしり)て治(をさ)め賜はば、僕(あ)は百足(ももた)らず八十坰手(やそくまで)に隠りて侍(さもら)ひなむ。要するに「国を譲るかわりに巨大な社殿をつくって我を祀れ」、とこういったわけです。
かくして壮大な出雲大社が建築されました。
雲太(うんた) 和二 京三
‥‥‥かつての巨大建築ベスト・スリー
出雲の大社、大和の大仏殿、京の大極殿を大きさの順に並べたそうですが、そのトップがここ出雲大社でした。
別に意味はありませんが、鳥居の横にはスターバックスが開店準備中。このブログがでるころは、営業中だと思います。
広い参道を抜けると
写真でよく見た拝殿、
シンボルの大注連縄です。
件の巨大建築物=本殿は、拝殿の背後に屹立しているはず‥‥‥。
でも、‥‥‥これ?
なんか小っちゃい‥‥‥気がする。
たぶん高い瑞垣でバリケードされ、本殿のそばによりつけない、だから小さく見えるのだ!
というのも理由のひとつのようですが、
もうひとつの理由は、先ほどの数え歌は平安時代のものだから‥‥‥
昨年遷宮されたばかりですが、現代の本殿は中世のデチューン版であるらしい。
図で説明いたします。
まず左側が現代の大社
高さは8丈=約24mと云いますから、これでも現代の神社としては最大級‥‥‥ビルだと6階建てに相当します。
右が数え歌に謡われた平安時代の大社‥‥‥これは倍の16丈=約48mもあったといいまして、
これはとんでもなくでかい‥‥‥ビルだと12階建て。
社殿の形は変らず、柱をやぐらに組んで、たっぱだけ高くした、というのがその建て方らしい。
巨大な柱のあとが発見されたという記事を、なにかで読んだ記憶があります。
さらにこれは半分眉唾ですが、上古にはなんと32丈=約96mあったという伝承もありまして、
こうなると日本版バベルの塔のようであります。
背後にぐるっと回りこみますと、ようやく本殿の大きさが実感されてまいりました。
ま、とりあえずこれだけの大きさがあれば、現代のオオナムチさんは満足されているのでありましょう、
そんな罰当りなこと考えながら、名物の出雲そばをいただきました。
そば粉のきいた、固めの喉越し‥‥‥美味しゅうございました。