子どものとき、道ばたの神さまはどこの辻にもいらっしゃった。 年を経て探してみたら、ずいぶんお仲間が減っていた。 小さな生きものと同じ‥‥‥そう、でも、負けないよ♪
by march_usagi
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29
ライフログ
アウシュビッツの沈黙

アウシュビッツの沈黙

カテゴリ
全体
海の外そぞろ歩き
そぞろ歩き
道ばたの神さま
わたしのお寺と神社
生きものたち
まつろわぬ草木
ちょっとこだわり
おいしいもの好き?
秘密の本棚
匠のおしごと
そのほか
未分類
わたしの好きなブログさん
以前の記事
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
最新のコメント
otyukunさま 暗..
by march_usagi at 20:28
ギリシャの古美術は普通に..
by otyukun at 06:36
ターコーへ 畏敬の念を..
by march_usagi at 12:16
「残響」ってことばがふさ..
by march_usagi at 12:43
見慣れた日本の風景とは全..
by otyukun at 15:28
otyukunさま 謎..
by march_usagi at 22:04
矢張り屋根はあったんです..
by otyukun at 22:18
otyukunさま 途..
by march_usagi at 12:31
素晴らしい高原ですね。 ..
by otyukun at 23:40
otyukunさま 柱..
by march_usagi at 15:05
最新のトラックバック
かたくりの花 ~箱根湿性..
from 鴉の独りごと
ミズバショウ ~箱根湿性..
from 鴉の独りごと
一夜明けて
from 鴉の独りごと
ノートルダム大聖堂とラテ..
from dezire_photo &..
湿生花園 復元区火入れ3..
from 鴉の独りごと
湿生花園 復元区火入れ2..
from 鴉の独りごと
湿生花園 復元区火入れ1..
from 鴉の独りごと
仙石原植生復元区 火入れ..
from 鴉の独りごと
明神さんの狛犬たち ~Y..
from 鴉の独りごと
燈明堂跡より ~Yoko..
from 鴉の独りごと
検索
ブログパーツ
最新の記事
憑きものおちて夏休み
at 2017-08-05 00:00
ギリシアの博物館で考えたこと
at 2017-07-29 00:00
デルフィーは世界の中心
at 2017-07-22 00:00
古代アゴラでとける謎
at 2017-07-15 00:00
雲のうえの花園 霧降高原
at 2017-07-08 00:00
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
オヤジ
歴史
画像一覧

<   2016年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

母の長崎

a0278809_1641930.jpg

母は長崎で育ちました。
山と海のはざ間にむりやり詰めこまれたような小さな街です。

a0278809_1643439.jpg

平和公園の一角に、原爆投下時の住居を表示したパネルがありました。

a0278809_1644753.jpg

爆心地から数百メートルの範囲で、そこに住んでいた人々の苗字を、記憶を頼りに書きこんだもので、
母の旧姓も記されています。
a0278809_1645953.jpg

原爆が投下されたとき、祖父と祖母、中学生の叔父と女学校に通っていた叔母とが暮らしていましたが、
勤労動員で、かろうじて壁を背に助かった叔父を除き、みな命を奪われました。

a0278809_16112449.jpg

平和公園の上手奥から、細い階段が降っています。

a0278809_16113562.jpg

原爆ですべてが破壊された街です。
道や区画も変わってしまい、はっきりここと云いきれるわけではないのですが、おそらくこのあたりに母の家があったのだと思いました。

「すぐそばに小さな川が流れていて‥‥‥」というのが母の記憶ですが、
a0278809_16115886.jpg

そのとおりの川が流れています。

a0278809_16121078.jpg

平和公園の向かい側には浦上天主堂がありますが、

a0278809_1612238.jpg

やはり母の記憶で、天主堂と山のあいだから月が昇ったとか、‥‥‥

a0278809_1612506.jpg

ここのことを云っていたのでしょうか。

a0278809_161362.jpg

爆心地には97年、新たに母子像が建てられました。

母の初めての出産に、祖母は父の駐屯地の日立まで出向こうとしていたようですが、兄の産まれる一月前、命を落としました。
a0278809_16131915.jpg

祖母が娘である母を、産まれる孫を思った気持ちが、この齢になったわたしにはよくわかります。

その祖母の遺体は、ついに発見できませんでした。
外に出ていたところで被爆したのでしょう。
祖母の名は、原爆殉難者名簿に記載されていません。生死が確認されなかったからです。

a0278809_16133725.jpg

平和公園の下手には、身元の特定できなかったひとびとの霊が、無縁死没者追悼祈念堂として祀られています。
祖母はこの中にいるのかもしれない。

祈念公園からはむかいの稲佐山がはっきり見えます。
a0278809_16135588.jpg

母はよく稲佐山からの港の景色を話してくれました。
祖父や祖母や兄弟姉妹との美しく楽しげな思いでとともに‥‥‥

でも母の長崎はひとつではなかった。
息をひきとるまでの何十年ものあいだ、悲しみと怒りをかかえながらもうひとつの長崎を見つめていたのが、わたしにはわかります。
[PR]
by march_usagi | 2016-02-27 00:00 | ちょっとこだわり | Trackback | Comments(2)

春節の新地‥‥‥26年ぶりの長崎

a0278809_22532697.jpg

久々の長崎は、春節(ちゅんじえ)に彩られていました。

a0278809_22534598.jpg

春の嵐に見舞われて雷雨まじりの宵でしたが、連休も重なって新地の人通りは絶えません。

a0278809_2254451.jpg

a0278809_22541833.jpg

a0278809_22543716.jpg

中央会場には、張りぼてのランタンがぎっしり‥‥‥土砂降りの雨に稲光が走ると、悲鳴と歓声があがります。

新地にはお目当てのお店がありました。
26年前、
母が健在のころ、家族でこの地を訪れたことがあります。
a0278809_2383296.jpg

そのとき寄ったこの店で、‥‥‥あれを、あの味をたしかめたい。
でも四半世紀がたっているし‥‥‥
a0278809_22552371.jpg

春節の混雑ではいれないかと思ったのですが、セット料理なら、とあっさり入店できました。
この広い和室にも記憶がある、
a0278809_22554435.jpg

あのときもここに案内されました。

a0278809_2255557.jpg

a0278809_2256594.jpg

セットといっても、でてくる料理にどれも文句のつけようがありません。

a0278809_22562172.jpg

海老のすり身をパンでくるんであげたハトシ、
さくさくっとした皮のしたに、海老のうまみがぎっしりつまっていて、
あっさり食べちゃうのはもったいない!

a0278809_22563348.jpg

無論ちゃんぽんは長崎ならではの味。江山楼のそれは定評があります。

でも、お目当てはなんといってもこれ、
a0278809_22564688.jpg

東波肉(とんぽうろう)!
いたって単純な料理でありまして、
豚バラを甘辛く煮て、中華まんのふかふかしたところにはさんで食べる、それだけ‥‥‥でもこれが絶妙のバランスなんですね。
とろとろの豚の脂身が煮汁もろとも饅頭にしみこみ、柔らかいほうれん草が歯ごたえをささえます。
a0278809_2257199.jpg

ちなみに26年前、次男はこんな風にかぶりついておりました。

いつのまにか郷土の名物になっていて、
a0278809_22571596.jpg

キティちゃんにも化けています。

横浜でも食べられそうなものですが、やはり長崎だからいいんだろうなぁ‥‥‥

a0278809_22572818.jpg

そんなこと思わせる、旅の味なのでありました。
[PR]
by march_usagi | 2016-02-20 00:00 | おいしいもの好き? | Trackback(1) | Comments(2)

千年なんて昔じゃない‥‥‥和泉式部の恋

千年ほど昔、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)という公家がおりました。丹後、摂津、大和、山城の守を歴任し、従四位下にまでなったかたですが、武勇の誉れたかく、柔弱な藤原一族のなかでは異彩を放っている人物であります。
a0278809_17125193.jpg

「宇治拾遺」の二八に「袴垂合保昌事」という話がのっておりまして、
盗賊の首領袴垂(はかまだれ)が着物を盗もうと物色していると、ある月夜、よき身なりの公家が笛を吹きつつとおりかかるのに出会います。これぞ「われに衣えさせむとて出たるひとなめりと思て」あとをつけ、たびたび襲いかかろうと狙うのですが、このお公家、どういうわけか隙がない。1キロほども様子をうかがい「さりとてあらんやは」、意を決して斬りかかろうとした瞬間、さと笛を吹きやみ、ふりかえって「こはなにものぞ」と問いかけます。
a0278809_171313100.jpg

“ONE HUNDRED ASPECTS OF THE MOON” by Tamara Tjardes MUSEUM OF NEW MEXICO PRESS

袴垂は射すくめられたように身動きができなくなりました。
その盗賊に保昌は「あやうげに、稀有のやつかな」「ともにまうで来」とよびかけ、ふたたび笛を吹いて歩きだします。袴垂は「鬼に神とられたるやうにて」あとに従い、着いてみれば摂津前司保昌の家だったというお話。袴垂は説教されて放免されます。

話長くなりましたが、この保昌の晩年結婚した相手が和泉式部です。
和泉式部と云えば紫式部や清少納言とならぶ王朝文学の才女、なかなか手ごわい方と思っていたのですが、
a0278809_17133794.jpg

『和泉式部日記』に目をとおしているうちにすっかり思いを改めました。

『日記』はこのように始まります。
「夢よりもはかなき世のなかを嘆きわびつゝ明かし暮すほどに‥‥‥」

なんのことかと云いますと、この式部さん、当時橘道貞という方と結婚し、一女ももうけていたのですが、皇太子の弟の弾正宮為尊親王といい仲になってしまう。宮さまは女好きで有名で、『榮花物語』「とりべ野の巻」には「この程は新中納言・和泉式部などにおぼしつきて、あさましきまでおはしましつる御心ばへ」なんぞと書かれております。夜遊びが過ぎて、『日記』のはじまる1年ほど前に急死されてしまうのですね。式部はその一周忌を前に、しんみりしていたわけであります。

そんな式部さんのもとへ、亡くなった宮の弟・帥宮(そちのみや)敦道親王がやってまいります。
宮は連れてきた小僧っこに、橘の花をもたせて様子をうかがいます。花を見てなんというか、試してみようという魂胆。
式部は思わず「昔の人の‥‥‥」とくちずさみます。それはご存じ古今集の
「さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」 でありまして、
橘の花の香りをかいだら、わたしも亡きあなたの兄宮への思いにつつまれましたよ‥‥‥の意であります。弟宮の期待したとおりの反応でした。
気をひかれた式部は、
「かほる香によそふるよりはほとゝぎす聞かばやおなじ聲やしたると」
と問いかけます。これはようするに、「あなたの声を直に聞いてみたい気がするわ、兄君の声に似ているのかしらん」なんて意味。
弟宮の返しがこれまた美しくて、
「おなじ枝に鳴きつゝおりしほとゝぎす聲はかはらぬものと知らずや」
とこうでありまして、血をわけた兄弟なんだから声がそっくりなのは当たり前でしょ、って返しです。

そのあとの顛末はご自身で読んでいただくのが一番ですが、
なかなか濃厚な愛の歌のやりとり、逢引き、もちろんセックスがくりかえされるわけでして、ただこの式部さん、このあいだも親王だけを相手にされていたたわけでないのが面白い。ちゃっかり他に源少将雅道さんとか治部卿俊賢さんなんかも咥えこんでおります。
宮さませっかく訪ねてきても先客がいたりして、逢えない晩もあるんですね。そうすると気が気でなくなる。
a0278809_1714272.jpg

他の男に邪魔されないように、式部さんを夜のドライブに誘いだしてどっかで一夜を共にする、‥‥‥こんな逢瀬もしてみたりします。
そうしてある晩意を決し、
「あのさ、いっそ僕んちに来てくれない?」って誘うのです。
「僕んちったって、宮さま奥さまいるじゃないっ!」と声が裏返ったかどうか知りませんが、式部さんうろたえます。
それはそうですよね、ただでさえ身分が低い、男出入りが頻繁、宮さまが訪れるにはいかがなものかとの評判もある。亡くなったお兄さまとの噂だって絶えていません。そんな女性をれっきとした奥さまのいる屋敷に連れこむというわけですから全くおだやかではない。
「奥さま、黙ってるわけないじゃないっ」てな台詞は書きこまれていませんが、読む者冷やひやいたします。
でも宮は執拗です。

行こうか行くまいか、式部さんは
「この宮づかへ本意にもあらず、いわほのなかにこそすままほしけれ、又うきこともあらばいかゞせん」と悩みつづけるのですが、
ほだされちゃっているんですね、常識がだんだん働かなくなってまいります。
「あいなし」‥‥‥つまり決して悦んでというわけではないがしかたない、と降参します。
「たゞわれゆきてゐていなんとおぼして、十二月十八日、月いとよきほどなる」晩に式部さん、ついに本宅にまいりました。侍女ひとり伴っただけであります。
もちろん、宮の本宅では大騒動がもちあがります。
怒り心頭に達した奥さまは、
「実家に帰らせてもらいます」といった感じで、皇太子妃のお姉さまのところに出ていかれてしまう‥‥‥
『和泉式部日記』は、ここでぷっつりと途切れ、宮や北の方との関係がそのあと具体的にどうなったかは書かれておりません。
そもそもこの「日記」、ご本人が書いたにしては奇妙に客観的、物語的なところがありまして、たとえば式部の動きと並行して、宮さまの動きも見ていたように描かれる。式部の知るわけもない北の方の心情や姉妹とのやりとりも書かれたりして、これが彼女の直筆の「日記」なのかについては異を唱える方もいらっしゃるようです。(わたしもそちらに傾いております)
ですが、いいんですねぇ。
王朝文学というと、つい隠微で優柔不断、形式ばかりで実質がうすい、庶民の心情からかけ離れているなんて先入観で観てしまうのですが、
式部さん、身分の差などものともせず、心の命ずるままにひとりの男として宮をみる。ときにすげなく、ときに情熱的にふるまいつづける。
紫式部に「和泉はけしからぬかたこそあれ」なんて云われるくらいですから、同僚の間でも芳しくない噂がしきりだったのでありましょう。ビッチとそしられ、めげてしまうときもあったのでしょうが、それでも自分の気持ちを大切にして生きてまいります。
わたしたちの時代と一千年の空白があるなんて思えません。

ただ悲しいことに3年後にはこの帥宮敦道親王も亡くなります。橘道貞さんとの婚姻も解消されてしまったようで、王朝の恋の花にもようやく陰りが見えてまいりました。

a0278809_17143123.jpg

別冊太陽『月岡芳年』平凡社

その式部さんの再婚相手が、冒頭で紹介した藤原保昌です。
月下氷人はふたりの雇主であった関白道長。
このとき保昌もう相当な齢であったと思われますが、傷ついた和泉式部をみて、女性の心を読むにたけた道長が、むしろよしと推したのかもしれません。
男には冷酷な道長ですが、女性にはたいそうものわかりがよい。女に手慣れた男でない方が、こうしたときには救いなのです。
丹後守の時代にはすでに同居されていたようなので、袴垂の事件のときには式部さんもご在宅だった可能性が高いと思います。
保昌は袴垂を放つとき「綿あつき衣一を給は」ったそうでありまして、この着物は式部さんがとりだしてきたものかもしれません。
盗賊が去ったのち、ふたりでどのような話をされたか、聞いてみたいような気がいたします。
かつての情熱の女と老いた武辺者、案外似合いの夫婦であったのかもしれません。
[PR]
by march_usagi | 2016-02-14 00:00 | 秘密の本棚 | Trackback | Comments(2)

常磐ハワイアンセンター

いまは「スパリゾートハワイアンズ」というのだそうです。
でも子どものときから、「常磐ハワイアンセンター」という名称がこびりついていて‥‥‥

でまぁ例の修「職」旅行の連中と、行ってみようということになりました。
a0278809_13523114.jpg

横浜西口に送迎バスがくるのですね。

a0278809_13524424.jpg

間違いありません。

a0278809_13525589.jpg

a0278809_13531440.jpg

首都高から常磐自動車道をとおって3時間半、

a0278809_13532841.jpg

ハワイアンズに到着です。

a0278809_13534152.jpg

真冬の外界から館内に‥‥‥レンズが一瞬けむってしまうほどの暖かさ。常夏なんですね。


泳ぎにきたわけではないので、まずは軽くビール。

a0278809_1354175.jpg

a0278809_13541556.jpg

時間はたっぷりあるので、風呂にまいりました。

a0278809_13543130.jpg

写真でお見せできないのが残念ですが、200坪はありそうな大浴場‥‥‥3分の1くらいに屋根がかかっているものの、あとは文字どおり「露天」‥‥‥空のしたです。
源泉のでるところが2か所ばかりありまして、そこの湯音は高いのですが、あとはグラデーション、好きな熱さをえらべます。これは快適。

a0278809_13545357.jpg

夕食後はもちろんショータイムです。
映画「フラガール」で蒼井優さんたちの熱演したハワイアンのショーが始まります。

a0278809_13552814.jpg

a0278809_13554492.jpg

a0278809_13555817.jpg
a0278809_13563621.jpg

そんなにも期待していなかったのですが、これがなかなかすてきなショー‥‥‥

a0278809_13565626.jpg

a0278809_13571083.jpg

なんといってもひたむきで可憐です。

a0278809_13573874.jpg

a0278809_13575274.jpg

リーダーのタヒチアンダンスからフィナーレに‥‥‥

a0278809_1358462.jpg

a0278809_13582291.jpg

わたしたちはただうっとりと眺めるだけでした。

思えば小学校5年か6年生のころ、福島からたくさんの転校生がやってきました。
炭鉱が閉鎖され、たぶん会社や組合の斡旋だったのでしょう、わたしたちの町にあった工場に集団で転職してきたひとびとの子どもたちです。
もう少し齢が上だったら、初代フラガールになった娘だっていたかもしれない。
そう思うと、少し甘酸っぱい気分になります。

部屋に帰ろうとしたら、なかなかみんながやってきません。

a0278809_1358375.jpg

もどってみると、なんとどの娘がよかったかと評定中‥‥‥興奮は冷めやらないのでありました♪
[PR]
by march_usagi | 2016-02-06 00:00 | そぞろ歩き | Trackback | Comments(4)