サルタヒコの不思議
先日の「YOKOSUKA海道ウォーク」の道すがら、
住吉神社を見かけたので立ち寄りました。
摂津は住吉がご本家の神さまで、関東ではそれほど多くない。
でも主神の筒男三兄弟は、イザナキが黄泉國から生還後 禊しつつ産んだ水の神ですから、
三浦半島の海沿いにあって少しも不思議ではありません。
気になったのはこちら、
境内のひと隅にずらりとならんだサルタヒコさん‥‥‥四基もあります。
付近に由来書のようなものもなく、そばの石にわずかに「安政」の文字が読みとれましたが、
安政といえば1854年から59年で明治維新のちょっと前。
もっともそれがこのサルタヒコさんたちの建立年かどうかはわかりません。
サルタヒコといえば、ご存じ天孫降臨の途上でニニギの一行を出迎えた神さまです。
もちろん国津神でありまして、『書紀』の一書によればニニギに
「天神の子(あまつかみのみこ)は、當(まさ)に筑紫の日向の高千穂の槵觸峯(くじふるのたけ)に到りますべし」
なんてことを教えます。
ただこの神格は、もともと衢神(ちまたのかみ)すなわち「賽の神」でありまして、
とすれば境を守る元祖道祖神みたいなもの。
文字を刻んだ塔の横にこんな像がありました。
風雨にさらされておよそ原形をとどめていませんが、
しみじみ眺めると鼻のおおきなサルタヒコのようにみえないこともない。
根拠はまるでありませんが、
ちかくの海域にあらわれる異国の船に恐れをなした人々が、
「賽の神」の親分たるサルタヒコを祭り、浦賀の海域を安堵しようとしたのではないか、
なんてこと、勝手に思い描くひとときでした。
このこたちは、ちょっとわきによけられていました。背景もなにもあったもんじゃないけど、とてもいいお顔です。現役世代は、正面でお迎え。 祭神は、中筒男命。 旧くは、栗濱大明神といわれたそうです。庚申塚。 右の四基は猿田彦大神と刻まれています。街も、海も近いのにみどりが多いですね。ふしぎなことに、この神社はなぜか水平がずれる。腕だけのせいかなぁ。Google mapでみる社殿の奥の森。横穴古墳があるそうな。体調不良のため、回れ右。 ウォークに戻ります。鳥居の外側、いまは人家になっていますが、大正初期は海だ...... more
男の三神は一体として「すみのえのおおかみ」と呼ばれていたと聞いた事があります。
京都にある猿田彦神社は小さな祠の様な神社ですが、観光バスが横付けで観光していた事を憶えています。
秦氏が住んだという太秦に入る道すがらにあるので道祖神として祀ったのかも。
猿田彦の末裔も残っているとか。
神様なのか会ってみたいものです。