普通の人びと
かつて、ナチスの収容所をいくつも取材したことがあります。
オランダとドイツ国内の撮影をコーディネートしてくれたのは、ロルフさん‥‥‥
さっぱりとして礼儀正しく、まじめで正義感の強いひとでした。
ザクセンハウゼン収容所にのこる人体解剖台‥‥‥
ブーフェンバルト収容所で、囚人の死体を焼却した炉‥‥‥
ことばに詰まるようないくつもの施設を、丁寧に案内してくれました。
几帳面で優秀な、いかにもドイツ人らしい方でした。
取材のあいだも、帰ってからも、ずっと不思議に思えていたことがあります。
ロルフさんをはじめ、ドイツで接触した人びとは、みな親切で丁寧で、穏やかな方たちばかりでした。
世代も立場も違うとはいえ、人類史にのこる大虐殺をおこなったドイツ人とはとても思えない。
『シリーズ20世紀の記憶』1937-1945毎日新聞社
しかし、ひるがえれば、同じことがわたしたち日本人スタッフに対しても云われたことでしょう。
中国で、朝鮮で、アジアの広い地域で、あなたたちの父兄は何をしたのか、
ここにいるあなたたちは誰なのかと‥‥‥
『普通の人びと』クリストファー・ブラウニング著 筑摩書房
だいぶ前ですが、こんな本を読みました。
ナチスでも、国防軍でもない、一般の警察官で組織した予備大隊‥‥‥云ってみればドイツの二軍か三軍にあたるような組織ですが、‥‥‥招集されてユダヤ人の殺戮を命じられる。
無論経験などあるわけもないし、考えたことすらない人びと‥‥‥そんな男たちが個人的にはなんの恨みもない男女を殺さなければならなくなるのです。
前掲書より
最初のうち心理的抵抗をしめしていた隊員たちですが、任務がすすむにつれて、
「多くの隊員は殺戮に関して感覚が麻痺し、無頓着になり、さらに幾つかのケースでは熱心な殺戮者にさえなった。」
同
平時であればごく平和で穏やかな人びとが、なぜかくもおぞましい犯罪者に化してしまうのか‥‥‥考えさせられてしまいます。
ある観点から答えをあたえてくれたのが、この本です。
フィリップ・ジンバルドーによる『ルシファー・エフェクト』
社会学や心理学の本で時おり目にしていた「看守と囚人の実験」の詳述です。
心身ともに完全に健康な大学生を二組に分け、片方は看守役を、残りは囚人役をするように命じます。条件はそれだけ。
模擬監獄にいれ、数時間も経たないうちに看守のいじめが始まりました。それはサディスティックにエスカレートし、囚人役の数人が精神的な変調をおこすに至ります。
ひとは状況によって悪になる‥‥‥それがジンバルドーの結論です。
多少の個人差はありますが、異常な状況に落とされたとき、ひとは平時に描いていた自己像ほど強くも正しくもいられない‥‥‥状況に人格まで支配されるのだ、と。
そうであるならば、‥‥‥ここからがジンバルドーの面目躍如のところですが、‥‥‥そうであるならば、ひとに悪を強いるその状況・システムそのものをなくさねばならない。
米軍によるイラクのアブグレイブ収容所の虐待は、記憶に新しいと思いますが、ジンバルドーは虐待が、実行した個々の兵士の責任に矮小化されることに反対します。
そもそもジュネーブ条約の捕虜虐待禁止条項を無視し、「拷問もやむを得ない」と公言したのは、ときのアメリカの権力者ではないか。彼らこそ蛮行の責任者として裁かれるべきではないか、と。
ひとは元来善でも悪でもない
悪になるとすれば、それは状況が、社会が、システムがそうさせるのだ‥‥‥そうジンバルドーは説きます。
ある意味で、それは救いと希望をもたせてくれる理論でもあります。
誰もが簡単に悪魔になる恐ろしい事実です。
少数といえども反対意見が述べられる天の邪鬼が必要。
それこそが勇気だと思います。
世の流れは正しい事から反対に行きがち、右に振れば左に、左に行けば右に。
冷静でいられる事は難しいのでしょうが。
全体が悪につきすすんだときに、抵抗するのは困難です。
実験では、単独で反抗するものがでましたが、すぐ押しつぶされました。
ただ、反抗者に同調するものがでたときに、少し状況が変化しました。ここいらへんがヒントなのかもしれません。