昼と夜 もしくは明るすぎる都会の夜について
昼の活気に満ちたベイエリアも、
夜になればなにやら艶めいた世界にはまりこんだよう‥‥‥。
東京駅だって、
こんなに感じが変る。
都会で生きてきたわたしにとって、
人工の光でいろどられた街は、ごく日常の世界、
野卑で乱雑な昼間の景観を、夜の灯火は調和ある夢の空間に作りかえてくれます。
ただ、ときどき思うのです‥‥‥では暗いのはいけないのだろうか?
当然のことながら、ビルや人家から離れるほど灯りは乏しくなってきます。
夜空に浮かぶ立木はなにか意識を持ったもののようにも思える‥‥‥
だいぶ前ですが、伊那の観察小屋で、深夜 梟の現れるのを待っていたことがあります。
撮影用にごく弱い照明を焚いていましたが、谷間はほとんど闇のなか‥‥‥上手の深い森の奥から、「ホ、ホッホホー」と梟の声がします。近づいてきた‥‥‥だいぶ近くにきている
と、突然谷間が真昼のように明るくなりました。
一瞬、照明のスイッチを間違えて、全山てらしだしてしまったかと思いましたが、そんなことがあるわけがない。
山に満月が昇ったのでした。
谷は煌々と照らされ、木々の枝葉がくっきりと地に影を落としている。
闇に慣れた目には、月の光がまぶしいくらいに明るい‥‥‥そんな当然のことを忘れはてていたのでした。
画質はよくありませんが、大震災直後の品川駅です。
灯りはたぶんふだんの半分以下、
電気がないんだから仕方ない、これだって別に困りはしない‥‥‥そのときみんなそう思ったはずでした。
なのにいつか街には光があふれかえっている。
むろん街は映えるけれど、
盛り場にはひきつけられるけれど、
でも、もう少し暗くしたっていいのかもしれない。
ひとの灯りのない世界を楽しむ‥‥‥これだってちょっとした贅沢だと思うのです。
満天の星を見られるのも灯りがない所だけです。
以前、吉野の山奥「洞川」へ行った帰り、国道に灯りが全く無く、対向車も無かった時結構気色悪かったのを憶えています。
宇宙から見ると日本の灯りは多すぎる様ですが、殆ど灯りのないのは全く発展のない国だそうです。
何事も適度が良いですね。
子どものとき、少し遊びすぎると星がみるみる増えてきたような記憶があります。あれは本当にそうだったのか、それとも空想だったのか‥‥‥?
光もそうですが、音も普段の騒音が消え去ると、聞こえなかったものが聞こえてきますね。一番うるさい音が自分の耳鳴りだったりします。
わたしたちは多分「過剰な」光と音の世界に棲んでいる‥‥‥それに馴らされてしまったんでしょう。