春を待つ春の木神社
何度か住まいを替えたけれど、
ひとつところにこれだけいたのは初めてのこと‥‥‥
部屋の窓から千木がほの見えるのは神明社‥‥‥
地元では「春の木神社」の名で親しまれています。 いい名です。
庚申塚に刻まれた年号は天和元年と読めますから、西暦だと1681年、
社もそのころからあったのかもしれない。
年のかわる晩には善男善女であふれる境内も、ふだんはこのとおりひっそりとした佇まいです。
末の娘が産まれたときにはまだこの地にいなかったので、ほんとはそう呼べないのですが、
わたしの家では勝手に産土(うぶすな)さんと呼んでいます。
ひとが土地との繋がりをうしなっていく時代‥‥‥
だからこそ、こうしたものに結びつきをもとめたくなるのかもしれない、
それも悪くないじゃないか、
なんて思っています。
私の産まれた所は祇園祭の八坂神社、祇園祭があるので少し自慢でした。
二十メーター程南は伏見稲荷大社が産土神。
今住んでいる所は松尾大社。
有名な所ばかりですが、小さな祠の様な神社は数えきれません。
それは産土神とは言っていない様なので、何を持ってそう言えるのか不思議な気がします。
遠い昔、氏族は土地と結びついた各々固有の氏神を祀っていました。
氏族が拡大・分散・移動し、土地との結びつきが希薄になったころ、土地に残された氏神が氏族と関係なく、その土地にすむ人々と新たな契約を結んだものが産土と考えられます。
鎮守さんも同じような文脈でしょうね。
「土地固有の神」ということであれば、単一神の信仰に染められていない世界の方々で見つけられると思います。
キリスト教のフィルターをかけられてしまいましたが、ラテンのマリア信仰も、実は地母神の信仰ではないかと疑われています。産土に近いですよね。