病院の赤い犬
国立病院機構横浜医療センター‥‥‥
昔の横浜国立病院というとご存じの方が多いかもしれません。
わたしの育ったのはこの裏手、当時は病院の敷地が広大に広がっていました。
今は公団になっていますが、
ここには病院のグラウンドがあって、職員の野球チームが練習をしていました。
もちろん使われていないときはわたしたちが遊びます。
思いだすのは野犬の群れ
都市部では完全に姿を消してしまいましたが、当時野良犬はありふれた風景の一部でした。
毎日のようにグラウンドに姿をあらわし、しばしわたしたちの遊ぶのを眺め、それから一塁側の脇道をとことこと行進していきます。
先頭を行くのは、土佐犬くらいの大きな赤犬で‥‥‥わたしたちは「アカ」と呼んでいました。
一塁側の原っぱの先には、古い産婦人科の病棟が兵舎みたいに建っていましたが、
アカたちの向かうのはそこ‥‥‥
病棟の非常口のあたりに、もう産んじゃったのか、これから産むのか、とにかく当面なにもすることのないお母さんたちがたむろしておりまして、
食事やお菓子の残りものを手に、野良犬の来るのを待っているのであります。
宿のない犬があたりまえに受けいれられていた時代‥‥‥お母さんたちは子どもに与えるように食べ物をあたえ、犬たちは尾を振って食べる。
そばで子どもたちが遊んでいる‥‥‥
あのころの、ふだんの午後の風景でした。
はるか昔から続いていたのでしょうね。
ヒトがイヌに食べものを保証し、
イヌがヒトのテリトリーの番をする、
‥‥‥原始のギヴ・アンド・テイクがかすかにただよっていた時代でもありました。
京都の街中で野犬の話は聞いた事がありません。
それより「犬捕り」が畏れられて、紐が外れた犬は片っ端から捕まえて保健所に。
結構酷いやりかたでした。
野犬の群れを見たのは東山の将軍塚、いずれも痩せてあわれで、その姿から観光客も怖がる始末。
餌は余り期待出来ません。
あの群れはどうしたのか、見なくなりました。
そうですか、東京でも横浜でも、野犬はわりと普通でした。「犬捕り」は確かにいましたね。家で飼っていた犬も、ある日行方不明となりましたが、「犬捕り」ではないかと疑っておりました。
横浜では、記事に書いているように野犬と子どもは共存していました。高校のころまで続いていたかな?