忘れない
たとえば1年生のときの集合写真‥‥‥このなかで、何人の名を云えるだろう‥‥‥自分の顔さえ心もとないというのに。
でも、あの日のことは忘れない。
そう、あの3月の底冷えのする金曜日の午後のこと。椅子が勝手に滑りだすほどの激しい揺れに思わず立ちあがったそのあとのこと‥‥‥
壁に罅(ひび)のはいった、凍りつくような社内で帰宅をあきらめ‥‥‥
しばらくして続々と入ってくる恐ろしい映像‥‥‥押し寄せる津波、炎上するプラント、そしてまた津波、津波!
余震はつづき、回線はつながらず、夜遅くまで家族の安否は知れませんでした。
それから数日して、さらに恐ろしいことを知らされました。
原発が大事故を起こした‥‥‥メルトダウンしているというのです。
爆発によってまきちらされた放射性物質は福島を襲い、原発の周囲をヒトの住めない土地としました。
震災から2年半たった昨年9月、2020年のオリンピック開催地が東京と決まりました。
最終選考の席で、わたしたちの国の総理大臣は、原発事故は制御されている。開催にまったく問題ない、と言い放ちました。
原発事故によって福島にさえもどれない人々が5万人もいる前でです。
いつかわたしたちの周囲から、事故を語ることが減ってきたような気がします。
株価もあがり、好況感がこの国を覆います。
辛いこと、いやなことは忘れよう‥‥‥なかったことにしてもいい‥‥‥と。
件の大臣は、事故を経験したわが国の技術は世界最高だと自ら原発のセールスマンを買ってでました。
でも、その「最高」の技術ですら、事故を防げなかったのではないか。
こうしているあいだにも、世界の原発から使用済み燃料や廃棄物が続々と産みだされています。
これらが危険でなくなるまで、ものによって数万年かかるとか。
でも考えてみてください。
人類が原子の火を使いだして半世紀‥‥‥そのわずか50年のあいだに、3回も破局的な事故が起きたのです。
それを安全に何万年も保管しろというのですか、ヒトという「種」さえ変わってしまうような歳月を‥‥‥
わたしの母は長崎で生まれ育ちました。
わたしもこの町が大好きです。
でも70年前の夏の朝、たった一発の原爆で町は跡形もなくなり、7万におよぶ人々の生命が失われました。
祖父も、祖母もそのひとりです。
福島第一原発の4号機に残る燃料には、広島型原爆の14,000倍の威力が秘められています。
広島の犠牲者は、概ね長崎の倍‥‥‥14万人。
こんな計算に意味があるとも思えませんが、その14,000倍といえば20億、この国を15回、無人にすることができる計算です。
それがたった一つの原子炉に保管されている‥‥‥
なんといえばよいのでしょう。
いいえ、断じて忘れるわけにはまいりません。
あの事故が起こるまで、その危険に目をふさいでいた自分に対する告発をふくめて、断じて忘れるわけにまいりません。
原発と人類とは共存できない。絶対にできません。
ただその想いを、多くのひとと共有するすべをわたしは知らない‥‥‥だから黙々と歩きつづけるしかないのだと思います。
私たちができることはなんだろう いつも考えています。
福島の農家から月一ですが野菜を送ってもらっています。
いろんなものが入っていて楽しみです。作り手の方の近況報告もあります。放射線量も記入されています。
この三月うさぎさんの記事をたくさんの人が見てくれますように!
人間ひとりのできることは限られていますが、やれるかぎりのことはしたいですね。でなければ子どもや孫、後世の人々に顔向けができない‥‥‥そんな風に思っています。