写真の裏側
EXAKTAというこのカメラ、今では骨董屋さんでなければお目にかかれませんが、わたしの子どものころはまだ現役ばりばりでした。
露出、シャッタースピードがマニュアルなのは無論のこと、
ピントは暗箱式のファインダーをのぞき、見た目でもっとも鮮明に見えるところを探します。
あっているのだかいないのだか、ちっともわからない。
Fがくるまでは、ピントあわせなんてそんなものだと思いこんでいました。
父がこのカメラで撮ってくれたわたしと姉たち‥‥‥家の前から近所の熊野神社にのぼる坂道での光景です。
1960年以前の写真ですから、そのときの父はたぶん40代半ば‥‥‥今のわたしよりだいぶ若い。
なにが楽しいのか、なんとも無邪気な顔をして笑っていますが、
ふと思うのは、このときファインダーをのぞいていた父のこと‥‥‥
能天気にはしゃぐわたしたちを追いながら、どんな気持ちでいてくれたことか!
写真は対象を写すだけではありません。
写真は撮ったひとの心も写す。
見ているとわかるのです。
ここに写っているのは、わたしたちだけではない。
わたしたちに注ぐ父の思いもまた写しこまれているのだと‥‥‥
カメラ小僧で居たのは機械に明るくないと無理。
写真から想像しても、素敵なご家庭だった事は間違いなさそうです。
それにしても、この時代のカメラが残っているとは。
私も何台かカメラを買いましたが、人に差し上げた以外はゴミに。
保管が悪くてカビだらけになったものも。
残しておくべきですね。
まだとても貴重な時代ですよね。お父様の愛情が深く感じられます。
話は変わりますが、写真 ありがとうございました。小1の孫娘に
見せたら「うー・・・・・・・ン」と言ったきりでした。友達に見せたら
写真の撮られ方を鏡を見て研究するといいよ、と 言われました。
お互い初対面で「はい 撮ってください」ではずうずうしかったですね。
それから、高菜の炒め物 超おいしかったです、
今朝 あったかいご飯で頂きました。私も作ってみます。
にんにく味噌も毎朝食べています、この夏を乗り切れたのは
にんにく味噌のおかげです。ありがとうございました。
父がカメラをいじっていたのは職業柄でして、写真は生活にはいりこんでおりました。
わたしも小学校にあがる前から、一台カメラを持たされていました。残念ながらこちらは残っていません。
まだ沢山のカメラが去来したのですが、F と EXAKTA は、特別です。といっても、今回とりだしたのは、実に久しぶりでした。
高菜で喜んでいただけるなど、光栄です。らっきょうの感激に比べたら、もののかずではないと思いますが‥‥‥
その節は、こちらこそごちそうさまでした。
松原の八百屋さんでは、巨大な高菜の古漬けを売ってくれるので、山のように出来あがります。ちびちび弁当にいれるとずいぶん長持ちいたします。