馬の戦争
こんな看板があるので、夏のあいだ近寄ることのなかった一角ですが、
冬枯れの道のわきに馬頭観世音の石塔があることに気づきました。
それもひとつでなくいくつもの石塔が‥‥‥
比較的新しく思えるものを見ると、「日露役」の文字が読みとれました。
その横の供養塔と刻まれた碑に、この石塔の建立由来が記してあります。
お読みいただけるとおり、日露戦争に徴用された軍馬の霊を慰めるため、人びとの建てた観世音の碑‥‥‥それ以前からあったものも、ここに集めたようでした。
かつて馬は、今日では想像できぬほどひとの暮らしと密着していました。
ともに働いたこの大きな生き物の霊を慰めようと、人びとは辻や村はずれにやさしい観音さまの碑を建てました。それは賽の神のひとつともなってゆきます。
でも‥‥‥と、この碑をみながらわたしは思うのです。
ここにある戦場死した軍馬への思い、思いやり、懐かしみは、ただ馬だけのものではなかったのではないか。
馬とともに、この地から出征していった兵士たち、そして帰らなかった兵士たちへの思いもともにこめられていたのではないか‥‥‥と。
死んだ将兵は国家によって「英霊」と祀られ、靖国に合祀されていきます。
残された人々は、軍神と崇めることは許されても、身内の犠牲者として悲しむことははばかられました。
そんな時代の、そんな思いが、この馬の碑にもこめられていたのではないか‥‥‥と。
同じ一角に「犬塚」と云うものがありました。
犬の塚‥‥‥なんと悲しい響きです。
いつも通う親水公園には、枯れた葦の池に鴨たちが群れていました。
屈託のない生きものたちの暮らし‥‥‥
ふと轟くような音に空を見あげると、
厚木飛行場から飛びたったジェット戦闘機が、冬の空を切り裂いてゆきました。
こちらのパソコンが古いからかも知れません。
馬が身近な動物だったのは戦後直ぐまで、家内は馬車を呼んで送ってもらった記憶があるとか。
義母の女学生時代、毎日馬車で送り迎えをしてもらっていたそうです。
その頃は裕福だったのでしょう。
私も若い頃鴨川の土手を馬に乗って歩く人を見た事があります。
近年は騎馬警官が信号整理を北野天満宮でやっているのを見かける事も。
糞害があるので街中ではそう毎日出かけるのは不可能ですね。
今日、exblogでメンテナンスが行われるそうです。
で、アナウンスされている時間以外、しかも告知のない部分で、トラブルが生じているのではと思われます。
(いま、わたしも投稿できなくて、こちらにきてコメントを拝見しました)
すでに投稿されているこの記事も見えないのですから、やはり・・・と思いました。
あちこち、ペケマークがついているのがそれです。
メンテが終われば、(想定外分も含めて)ご覧いただけると思いますので、またよろしくお願いいたします。 Suzuka
馬は田舎にゆくと、子どものころにいくらか見ることができました。でも働いている馬は、さすがにほとんどありません。例外は、競馬馬くらいですかね。ただ20年ほど前、取材でポーランドに行ったときは、農業用の馬車をひく大きなペルシュロン種の馬を見かけました。アウシュビッツ収容所のまえでした。
実はわたくし、馬に乗ることができます。映画でもあれば、老いぼれた落武者がやせ馬でとぼとぼ歩く、なんてエキストラ可能です♪