比叡山と修学旅行
当然のことながら、ほとんどなんの記憶も残っていません。
残っているのはまくら投げや昼の弁当、もう少し大きくなるとこっそり吸ったたばこや持ちこんだ酒の味といった記憶‥‥‥皆さんもそうじゃないですか?
なので確か比叡山には行ったはずなのに、これっぽっちも憶えていませんでした。
出発が遅かったのと、道を途中で間違えたのがたたり、東塔のあたりしか観ることができませんでしたが、それでもその規模の大きさに驚かされます。
蒸気の多い日であまりはっきりしませんが、叡山は京の町を真上から見下ろすような位置にそびえています。中央の四角い緑の一角が御所にあたります。
『平家』や『源平盛衰記』には山法師の狼藉がさまざま描かれていますが、こんな険しい山にこもって日夜修業をしていれば、平安のお公家さんなど恐くないのが当たり前‥‥‥
妖怪のような後白河法皇をして「賀茂河の水、雙六の賽、山法師、是ぞわが心にかなはぬもの」と言わしめた僧兵たち‥‥‥とはいえ当時もっとも教養ある集団であったのは確かですから、いってみれば学生運動の原点のようなものでしょう。
山のふもとには事あるごとに山法師が担ぎだす神輿をおさめた日吉大社。
そう、御所の警備をまかされた駆けだしの清盛が、矢を射たてて物議をかもしたその神聖なる神輿の保管所です。
ここも修繕中で東の本宮は見られませんが、西の本宮はこのとおり神さびたお社が鎮座しておりました。
できることならこのぐらいの歳になって、修学旅行はやっていただきたいもの‥‥‥
そうすれば、歳月と語る余裕もできるのでは、と思います。
徒歩の登山の道は多岐に渉っていてあちこちに修行の場所があるそうです。
千日回峰という人間の限界を遥かに越えた修行はこの比叡山の二百以上ある霊場を回るとか。
人間が肉体を遊離した霊体である事を実感出来るそうです。
低い稲荷山でもあちこちに霊場があります。
肉体を否定する般若心経を限りなく唱えながら修行していましたが、比叡山でも同じかも。
凡人の私には出来ませんが、うさぎさんなら如何?
天台宗は、「国家護持」の方向にまっしぐらに進みましたが、その膝もとからいわゆる鎌倉仏教‥‥‥浄土宗、浄土真宗、日蓮宗のように、どちらかと云うと個人救済を旨とした宗派の生まれてきた点がたいへん興味深いと思います。
当時は仏教がもっともとんがった文化・学問であったわけで、その意味で比叡山は新しい文化の揺りかごであったのですね。
もしも当時に生きていたとしたら、わたくしもあるいは憧れた場所だったかもしれません‥‥‥ね。
次回はもう少し計画的にまわろうと思っております。(反省)
まだ、比叡山は行ったことがありません。
足腰が丈夫なうちに行かねば。
大人の修学旅行、いいですよね。
文化とロマンを求めて…なんちゃって(笑)
来年は、土佐に大人の修学旅行をする予定です。
土佐の桂浜はまさに煙草とお酒の思い出の地‥‥‥神社仏閣名所旧跡のほうはほとんどなんの記憶もありません♪